歴史小説の名作に『真田太平記』というものがある。
池波正太郎の著作で、戦国時代に活躍した真田家の物語が描かれている。
その真田家が居を構えたのが長野県上田市。真田家の本拠地であった上田城は、小説の人気により、今も多くの人々が訪れる。
2014年の正月、年明けの騒がしさの中で、トビタはその上田に車で向かっていた。
上田には、昔から知る友人がいる。トビタはその友人と飲むために、“真田の地”へと車を飛ばしていたのだ。
おっと、車を飛ばすといっても、トビタが実際に運転しているわけではない。トビタはあくまで助手席。運転席には、これまたトビタの旧友が座っていた。
運転する旧友の名前を出すことは、彼の名誉のためにも避けなければならない。かといって、何らかの呼び名を彼に与えなければ、この物語も進まない。
そこで、この物語に限って、トビタの横で運転に集中する男の名を「フラットY」としたい。
この呼び名にはそれほどの意味はない。ただ、彼のイメージと思い出を重ね合わせると、自然にフラットYという呼び名が出てくる。
二人が乗っていたのは、フラットY自慢の愛車。フラットYのマイカーでドライブ。当然、トビタは楽しい時間になると考えていた。
しかしどうだろう。夕方5時半にフラットYと落ち合った時から、彼のテンションは上がらない。むしろ機嫌が悪い。
終いには、「なぜ上田まで行って飲まなきゃならないのか。意味が分からない」という始末。
トビタは助手席に乗りながらも、今にも爆発しそうなフラットYの怒りにビクビクしていた。
フラットYがここまで不機嫌な理由。トビタにはそれが分かっていた。ずばり、今回の飲みに女子がいないからだ。
フラットYは無類の女好き。女子のいないところに、フラットYの笑顔はない。
今回も、フラットYは早いうちから「上田で合コンがやりてえ」と漏らしていた。実はその計画が破産となっての今日。合コンが実現せず、その代案としての男飲み。だからこそフラットYは不機嫌だったのだ。
昔のフラットYはこんな男ではなかった。女子とは一切しゃべらず、仮に女子から話しかけられれば、むしろ厳しい口調で「あ? あ?」とメンチを切った。同じクラスの女子からは「フラット君こわい」といわれるほどだった。
そのフラットYが変わったのは2011年の春。
日本が誇る名所、大阪の飛田新地でセックスを知ってから、彼は女子至上主義になった。男との飲み会なんてクソくらえ。旅行=風俗を巡る旅。東京=吉原。彼の思考はそう変わったのだ。
ハンドルを握るフラットYは、相変わらずイラ立ちを見せていた。上田で待つ友からの「7時までには来てくれ」という連絡にも、「そんな時間に行けるわけがない。この季節の山道は凍結しているんだ」と、まったく請け合わなかった。
時刻は夕方6時。すでに道は暗く、長野の冷え込みが車内にまで伝わってきた。トビタはどうすればフラットYのテンションを上げられるのか、そればかり考えていた。しかし考えても考えても、結局出てくる答えは「女子」しかなかった。つまり、飲みの場に女子を用意する以外ない。だがそれは出来なかったのである。セッティングは未遂に終わったのだ。それ以上は、他の方法を考えるしかなかった。
トビタは苦肉の策を提案した。「フラットY、たとえば今日飲んだ後に、上田の数少ないプロフェッショナルなお店に行くのはどうだ?」そう聞いたのだ。
「地元の人が敬遠しているあの店に行くのか? あ? なあトビタよ、お前はいつからそんな使えない人間になったんだ。俺が求めてるのは素人の女なんだよ」
トビタの提案はあっさり却下された。むしろ、フラットYのイラ立ちを増長させるだけだった。
それもそのはず。なにせフラットYは無類の女好き。トビタが思いつくようなシンプルな手段は、もうとっくの昔に、おそらく今日出発する前に考えていたのである。そして、彼の中で即座に却下していたはずだ。
トビタとフラットYが落ち合った場所から上田に行くには、峠をひとつ越えなければならない。徐々に暗くなる山道を見ながら途方に暮れるトビタ。その横でフラットYがぽつりとつぶやいた。
「前回、上田に来た時は、最高に楽しかったのにな…」
トビタはハッとした。そして、フラットYがこれほどまでに不機嫌になるのも無理はないと思った。なぜなら、今日遊ぶ3人で前回上田に集まった際、フラットYは女子と至福の時間を過ごしたからだった。
今回もまったく同じメンバーで、あの日以来、上田の地に集結するのだ。フラットYが「女の子、ただし地元の素人と飲みたい」という願望に未練を残すのも当然だっただろう。
正月ムード真っ盛りのこんな時期に、上田で女の子との飲み会を画策したのも、その前回の成功があったからに他ならない。
そしてこのような物語を書き始めたのも、すべては10月の上田での素人女子との戦いがあったからこそ。
だからこそ、まずは10月の上田の戦いから回想しなければならない。それこそが、『俺たちの真田太平記』の本当の始まりである。
つづく
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